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オーツカの変遷

changes

オーツカの変遷は、日本人の足と歩きを見つめつづけた改革の歴史。
オーツカ製靴は明治5年(1872年)の創業以来、西洋靴という新しい文化を日本に定着させ、日本人の足に合った靴の追求に専心してきました。そして現在も技術の研鑽や素材の改良に努め、さまざまな快適歩行機能を満載し、同時に新しいトレンドを取り入れた数多くの靴を、ビジネスシーンからオフタイムまでお届けしてきました。私たちの百四十余年の歩みが日本の靴の歴史といっても過言ではないと自負しております。

創業当時の背景

Background

新橋の芝露月町で大塚商店を創業した当時は、文明開化から間もなく、日本にはまだ西洋靴を履く習慣がありませんでした。しかし、将来かならず靴が日本人のライフスタイルに必要不可欠な必需品になると考え、そのとき本場西洋の靴にも遜色ない高品質の靴作りが出来るよう、進取の精神を発揮して技術の修得に邁進しました。そのたゆまぬ努力は、明治22年(1889年)フランスで開催されたパリ万国博覧会において出品した靴が銀牌の栄誉に輝くというかたちで実を結びました。創業からわずか17年足らずで、世界の靴メーカーと比肩できる技術力を誇るに至ったのです。
創業当時の背景

戦時下での産業改革

Innovation

大正11年(1922年)には高級紳士靴の製法を代表するグッドイヤ式製靴機械一式を導入。それまでの手製とともに機械靴製造を開始し、伝統の手業と近代化を融合させました。製靴業をひとつの産業へと成長させるため、オーツカは大きな牽引力となったのです。
戦争という苦しく悲しい時代を乗り越え、昭和25年(1950年)、大塚商店を大塚製靴株式会社に改組し、新たな出発をはじめました。
戦時下での産業改革

高度経済成長期での飛躍

Rapid economic growth

戦後の高度成長に合わせて順調な業績を上げ、昭和36年(1961年)には横浜・日吉に「日吉工場」を建設。効率的な生産体制を確立しました。このころから自社ブランドの開発と拡充に力を入れ、昭和40年(1965年)に発表された「スリーワイズ」は40年以上経った現在も履き継がれるロングラン商品に成長しています。また昭和49年(1974年)にフィックスルーパーとして誕生したボンステップは、発売当初から高い評価をいただき、現在もウォーキングシューズの代名詞として人気を誇っています。さらに、海外ブランドとの提携も積極的に推し進め、ハッシュパピー(昭和40年・米国)、バーバリー(昭和59年・英国)、グレンソン(平成11年・英国)など世界のトップブランドの販売を展開して現在に至っております。
高度経済成長期での飛躍

ライフスタイルの多様化が進む現代社会での差別化

Differentiation

21世紀を迎え、ライフスタイルの多様化が進む中、2001(平成13年)にはクツのオーツカグループ新体制へ転換し、靴業界で初めてISO9001:2000品質マネジメントシステムを登録。業界での差別化を図るとともに、さらなる飛躍を目指しました。また、創業の原点に立ち返り、心から満足していただける靴づくりに徹しようとの思いから、注文靴中心の靴店としてOTSUKA M-5を平成14年(2002年)にオープンしました。店名は創業年の明治(Meiji)5年に由来しています。そして平成24年(2012年)、創業140周年を機に、ブランド力の向上を目指し、ロゴマークを刷新。同年11月1日には念願の直営店「シューマニュファクチャーズ [オーツカ]」を六本木ヒルズ4階にオープン。今後も、“伝統の継承と進取の精神”をテーマに、つねに快適で健康的な靴のあり方を提案していきます。
ライフスタイルの多様化が進む現代社会での差別化
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